邪馬台国は何処にあったのかな。
日本人であるならば、我らがご先祖さまのお国の場所に、関心があるのは当たり前と小次郎は思っています。今を生きているとは、長い長い人類史の頂点にいるのでありまして、それも倭国→邪馬台国→大和→日本という人類史上稀に見る稀有な民族の一員であるからして、場所の特定には、とてつもない期待と不安が交差しております。
三国志・魏志・倭人伝の中の漢文が頼りなんですが、その文章のままだと邪馬台国の位置は、南海のはるか沖合いグアム島あたりになってしまいます。ここで曲解・誤解・我田引水が生まれ、我が故郷こそが邪馬台国であった、というロマンが生まれてきてました。
小次郎は
この2箇所のどちらかだろう、長年思っていました。どちらかというと、韓半島に近く鉄の輸入が容易な北部九州だろうな、でも魏志倭人伝の里数に合わない、という疑問で、関連本・YouTubeを散策しながら日々楽しんでおりました。
で、八俣遠呂智さんと名乗る方のYouTubeを見てしまい、基本は農業生産のアプローチで考えなければ、場所の特定はできない。「七万余戸」の人口を養える沖積層の平地は弥生時代の後期では、福井平野しかない。すなわち、越前。高志の国。
上記画像の地図です。八俣遠呂智さんの動画から頂きました。魏志倭人伝の里数と日にちに合っています。
この方の動画・ホームページを参考にしながら、これからも邪馬台国遊びを楽しみます。関心のある方は、八俣遠呂智さんを検索してください。