小次郎独演会

こんにちは、小次郎です。凡夫の独り言です。

ランボオ

もう秋か それにしても 何故 永遠の太陽を惜しむのか
俺たちは きよらかな光の発見に志す身ではないのか
季節の上に 死滅する人々からは 遠く離れて              ランボオ小林秀雄訳)

『地獄の季節』の『別れ』の頭である
俺が17、8歳の頃だと思うが 京都の『丸善』で買った岩波文庫
喉の奥に小骨が刺さったような
意識の痛みは ずっと持続していた と言うより
それから 何十年も生きてきて
もちろん アデン アラビア アビシニア(エチオピア) マルセイユ
パリ ロンドン ブリュッセル シャルルヴィル ロッシュ かの地には一度も行けず
写真と活字の中だけで ランボオを追っていた

二十歳までに こんな詩を書き 太陽を求めて 出奔 放浪 を繰り返し
最後は アビシニアのハラルで癌腫を患うまで
太陽と光を求めつづけた詩人 コーヒー 武器商人 冒険家 ランボオ  

見飽きた 夢は どんな風にでもある
持ち飽きた 明けても暮れても いつみても 街々の喧騒だ
知り飽きた 差し押さえをくらった命 -ああ 『たは言』と『まぼろし』の群れ
出発だ 新しい情と響とへ                        イリュミナシオン

まずは 出発することが彼のテーマであった 金も無く 友も無く 知識とて無く
太陽のもとへ きよらかな光を発見するために 出発 出発・・・・・

何だろう とおもってしまう 

二十歳前後の青年が ランボオに出会えば 本当にいちころだ
女性には分かりにくい男のパッション 酔い 情念 と言ったところか
そう言えば 女性のランボオ研究家は聞かない また文章も読んだことが無い
男性が罹る 限定の 季節病か
病は気だ しかしこの病は なんと豊穣な夢を見せてくれることか
唯一太陽のみがランボオの友 親 命 であった 

エジプトの遺跡に RIMBAUD 悪戯書きしたのは
太陽の王国に自分の名前を刻む 永遠に太陽とともに朽ち果てない欲望

泉はいつまでも 枯れない