小次郎独演会

こんにちは、小次郎です。凡夫の独り言です。

盆栽の松の剪定

ここ三週間ほど数少ない盆栽たちの剪定植え替えを行っております。今日は松2本を剪定しまして、盆栽棚の正面に置きました。盆栽はかれこれ20数年のお付き合いで、一時期は100鉢近くありましたが、そのほとんどは枯れてしまい、今はもう二十数鉢しかありません。この生き残った盆栽たちは、小次郎の気ままなお世話に耐え抜いた強靭な生命力を秘めた猛者です。

 

その中にあって、上記写真の黒松はだんだんと良くなっているのか、悪くなっているのか小次郎には分かりかねます。生き物を育てる、それも自然に反した鉢の中でミニチュア化を保持するという独特な育成は、生き物にとって過酷この上ない生き方です。もし彼らが声を発することができれば、その喚き声、小次郎を非難する怨嗟に夜も寝られないほど悩まされるのではないかな。人類がたまたまこの惑星の頂点に立っているという意識は、多分錯覚なのですが、この惑星の生物たちを苦しめ、絶滅させているんでしょう。

 

彼らの犠牲の上に、美を愛でるとは、まあ人類は勝手気ままな生き物です。小次郎もしかりです。二十数鉢の盆栽で、庭の片隅に森を作り、ある種の癒し空間が表現できればと念じてはいますが、盆栽たちの声も聞かねばよい森にはならない、まずは手入れですかね。

 

6月に入って暑いやら、涼しいやら、雨量はそんなでもないのですが、体調は芳しくありません。新型コロナも9波に入っているらしい、とのこと。ウクライナの戦争は出口が見えない泥沼。人類の暗黒面ばかりが強調され、本来はもっともっとポジティブな生き方ができる可能性の方が優っている生き物なのに、汚い欲望が蔓延するとは、終末が近づいている証左なのかな。よく分からないですが、いつの世もこれぐらいの不条理は当たり前ですか。賢いと名づけられたホモ属の一派が地上の海中の空の生き物たちを殺し続け、挙句の果てに共食いまでしている、これでもSAPIOなんでしょうか。

 

もうやめます。沼の思考では、青空は見えませぬ。