小次郎独演会

こんにちは、小次郎です。凡夫の独り言です。

終わりの認識 と始まり

俺が見ている 現実 歴史 世のうねり
時間は有限であり 何時かは終わりが来る


当たり前なことで 誰でも 終わりの認識はある
認識はしているが 終わりがいつ来るかまでは 認識出来ない


だから 生きていられる訳であるが
終わりは はたして死であるのだろうか という疑問が


あの震災以降 頭に巣くっている


歴史という時間軸は 結果の答えであり
世のうねりは 人々の声のような気がする
現実は 瞬間の連鎖で この時間軸は 左右 東西南北
どちらに溢れるか 予想は出来そうで 結果は不明である


死は 個人の限定現象で 集団ではないと思ってはいたが
震災での 3万人近くの人々の 魂は
限定現象と 理解しづらく 
死は終わりではない という命題のもとで考えて行けば


少しは明日につながる 歴史を引き出せるのではないかと
考えるようになってきた


宇宙の質量は一定である
増えもしなければ 減りもしない
俺たちの魂も たぶん 一定の質量なんだろう


だから 死は無い と思った方が道理のように思えてくる
では 3万に近い人々の 魂は どこにあるのか


それぞれの個性 癖 物質や生への愛着 記憶は


と考え込んで行けば 個人限定現象に陥ってしまう


広義での魂を掴めば 永遠という方向に向かう気がする
俺たちは 生物学的には死ぬ
しかし 生物であると同時に 魂の伝達も行っている
この伝達こそが 不死の流れではないだろうか


魂は生き延びる


伝達する事によって 生き延びるのである
終わりの認識は あくまで生物学的な認識であり
死は終わりではない


始まりかも知れぬ と理解する事は行き過ぎか
いづれにしても 始まりも無ければ 終わりも無い
時間は 永遠の時を刻んでいる


俺たちの 生は 多分一瞬の 光芒なんだろう
宇宙時間
人間時間
そして 俺の時間


3万人近い人々の魂を 考えて行けば
延々と続く 演繹の答えが 垣間見える


複雑だが たぐり寄せる 紐は必ず存在する
しっかり見据え 歴史の今を生きている自覚と覚悟が


必ず明日へと繋がる と信じよう
そして 魂の伝達を ブログと石碑に刻もう