本を読もう⑤
前回の④から一年近く経ちましたね。コロナ禍のもと、唯一新旧世界と交信可能な媒体は活字の集合体=書物であるからして小次郎は何やかやとアマゾン・楽天・ヤフーショッピング、さらには日本の古本屋さんにお世話になっております。
今回は今一番興味を掻き立たれています「邪馬台国」の関連本3冊のご紹介をいたします。
このご本は、学界の邪馬台国近畿説に対する強烈なアンチテーゼの書物です。今は九州説なんかシーラカンスと学界では言われております。でも、近畿・奈良・桜井市ではどうしても魏志倭人伝と合わない、かなりの曲解をしなければ奈良まで到達出来ない。ここをどう説明すのか。
アマチュアファンの大疑問です。槌田氏は本田のエンジニアで工業系の頭脳の持ち主、一読で魅了されました。3日ほどで読了しましたので、かなり面白いご本です。
箸墓古墳から乗馬のための木製の鎧が出土して、ここから3世紀の初頭には馬が奈良には来ていた。扶余が来ていた。そして公孫氏が呉の工人を連れて纒向に入り三角縁神獣鏡を作らせた。このストーリーはナイスです。あり得る、と思います。
前方後円墳が北は福島県、南は鹿児島県、南北1000kmに急速に拡大することは、交通のイノベーション革命がなければ実現不可能、と槌田氏は言い切っておられます。これがお馬さんです。まあとにかく一読の価値はあります。
学界の正統派の考え方のご本です。ただ、銅鏡の説明に関してはかなり詳しく述べられております。また銅鐸に関しても、これを潰して銅鏡を作っていたという見解は、とても新鮮に感じました。使う銅鐸から見る銅鐸という考え方も、巨大化する銅鐸の本質をついているように思います。
惜しむらくは、学界正統派の方の欠点である、木を見て森を見ずの弱さがあり、読んでいて面白くありません。先の槌田氏の大胆な推理・仮説・ストーリー構築にはとてもじゃないが及んでいないのが残念です。もっと挑戦しろ!と言いたいのですが、これでメシを食っている以上はこの辺りが限界なんでしょうか。
「かくも明快な魏志倭人伝」木佐敬久著 冨山房インターナショナル
このご本は今読んでいるのですが、とにかく目から鱗です。江戸時代から今まで300年間続いている邪馬台国論争の終着点がこのご本のような気がします。
南至邪馬壹国女王之所都「水行十日陸行1月」
このカッコ内の水行十日、陸行1月の解釈が支離滅裂、我田引水で我が故郷が邪馬台国であった、と皆さんは言い張ります。畿内説はこの南を東にねじ曲げて、奈良を纒向を箸墓古墳を卑弥呼のお墓と解釈しております。
この水行十日、陸行1月を魏の洛陽からの旅程と解釈した木佐氏は丁寧に素直に魏志倭人伝を読めば、これは当たり前のことである、と。明快なんです。
末盧国=唐津で良い、次の伊都国はイツ国で糸島半島では無く、小城町。奴国はの国で佐賀市。全て東南で合っています。東行百里の不弥国は吉野ヶ里遺跡に近い千代田町。筑後川の西岸です、筑後川を渡った先の城島町ここが邪馬壹国の入り口です。ここからお船で投馬国は水行二十日で琉球圏の島々。城島町からほんの少しの高良山が邪馬壹国です。女王卑弥呼のお墓は「祇園山古墳」となります。
この祇園山古墳を動画で見ました。いずれ近い内に小次郎もここには訪れたいと願っております。この地は、筑後川、筑後平野が一望でき、やはりここだなと思います。
出雲説、吉備説、近江説、果ては福井平野説等々、あれやこれやのご説明で邪馬台国はあっちにこっちに引っ張りだこです。邪馬台国の台は『䑓』では無く『壹』=イチです。ヤマイチコクが正しい読み方と木佐氏は言っております。
さらに魏志倭人伝は韻を踏んでいる書き方をしているので
その書き出しは
ゐじん ざい たいほウ とウなん たいかい しちゅうウ
い さんとう ゐ こくゆう きゅう ヒャクよ コク
かんじ ゆう ちょうけん しゃ きん しヤク しょつう さんジフこく